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◆24時間異文化異言語に生活の場が変わるワーホリや留学生

◆◆24時間異文化異言語に生活の場が変わる、ワーホリや留学生で来て生活し始めるということ◆◆

 

4月になりました。日本では新学年が始まる大きな節目の時期で、この時期にたくさんの日本の若者がワーキングホリデーや留学生として来豪します。

 

つまり異文化への適応という課題に迫られる日本の若者がたくさんいる時期です。この課題を考えるときに、いつも思い出す私自身の二つの体験があります。

 

一つ目は日本で大学の法学部を卒業した後、心理学を学びたくて他の大学に研究生として入学して心理学の単位を一年でまとめてとろうとした時の体験です。

 

学部で学んだのは一学年で何千人もいるようなマンモス大学。そこから、日本の中にあっても完全アメリカ式の小さな大学で、いきなり心理学を学ぶことになりました。同時にその大学に近いところに転居もしました。

 

二年間心理学の基礎を学んだ学部の三年生たちと、「三年次のこの科目はしんどいから覚悟しておけと彼らは言われていた」心理学研究法をいきなり取らされ、毎週心理学実験、そして徹夜でレポートを書く日々。

 

私の場合はまるっきり日本式の大学から来たために、丸覚え式の勉強は得意で法学部で首席まで取って来ていても、その段階では西洋式のクリティカル・シンキングに全く慣れていず、トレーニングされてきていないために、事象の的外れでない分析や自分の意見をまとめるにも四苦八苦する状態。

 

私のこの体験は、日本からの留学生たちがこちらの大学や大学院で学び始めて授業で求められることに四苦八苦する体験とそっくりで、実感としてよく共感することができるように思います。

 

その頃私が陥っていたのは、「24時間生活の場が変わるって、こんなにも大変なのか」というカルチャー・ショックの体験であったと思います。大学には四年も通っても、大学のあり方がかなり違うところで、「まさに異文化」に来た体験でした。しかもゆっくり慣れる時間があったのならともかく、一ターム目からいきなり始まった心理学研究法のレポートを毎週数日は徹夜して書き上げる体験は、こちらの大学や大学院でいきなり力を発揮することを求められる留学生の体験とよく似ているなあと思わされます。

 

その時に私が陥っていたのは、現実が現実感を持って感じられず、まるで曇りガラスを通して外を見ているような「離人感」の体験でした。そのような状態が数カ月間は続き、翌年何とか大学院の修士課程の選考に受かって、心理学専攻の大学院生になれる頃には和らいだのを覚えています。

 

そして二つ目は、私自身がシドニーに来た時の体験です。シドニーではすぐには社会人でもなく収入もなく、ただの学生に戻った体験。私よりずい分年下のワーホリや学生の方達ともいっしょにバイトもした体験。今までの日本でのアイデンティティを剥ぎ取られ、まだこの国では何者でもないような感じからまた始めた不安な体験。まるで青年期のアイデンティティの作り直しを、異文化の中でもがきながらやっているようでもありました。

 

異文化適応には、そのような体験もありがちなことも知っています。それでも日本とが違う異文化を経験することから得るものは素晴らしく多く、私自身もそのような適応の大変さを乗り越えてもやってきて、その先の人生を生きています。

 

そのような体験のただ中にある若い方たちの、その方なりの歩き方と答えをカウンセリングで伴走しながら見つけて行っているように思っています。

ご興味のある方はお早めにご連絡ください!

 

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