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【子育て】 シドニー共育日記(第5回)生後〜6カ月ごろまで(その1)—至福のとき

未知で恐ろしい「出産」という大冒険を経てようやく生まれてきた赤ちゃん。

母子ともに大変なこの経験を乗り越えて、何とか母体が無事で、そして赤ちゃんが「五体満足」で生まれてきてくれたら、

それだけで「神様に感謝」である。残念ながら、「無事」じゃないケースもままあるのだ。

私の身近にもそういう経験をした人たちはいる。出産は多くの人たちが通る道だし、今は医療も発達しているので、

上手くいって当然のように思われがちだけれど、やっぱり

母にとっても赤ちゃんにとっても命がけの体験であることに変わりはないと思う。

こうして生まれてきてくれた赤ちゃんを初めて胸に抱いたとき、たとえ五体不満足だろうと、

どちらかというと人間より火星人に似ていようと、心の底から愛情が湧き起こってくるから不思議だ。

かつて感じたことのないほどの、強く決然とした愛情である。

私は、出産後にふらつく足取りでシャワーを浴び(そう、こちらではみな出産後にシャワーを薦められる。

日本だと出産後はしばらく絶対安静でお風呂にも入れず、髪の毛も洗えないのでふき取りタイプのシャンプーを持参するのだと聞いた)、

用意した寝巻きに着替えて夫や両親の祝福を受けたあと、「この子と二人だけになりたいから、早くみんな帰らないかな」

とずっと思っていた。ようやく皆が帰って、ロシアの入れ子人形のような形に木綿のおくるみでぐるぐる巻きにされた

赤ちゃん(こっちの看護婦さんたちは実に効率的に赤ちゃんをぐるぐる巻きにしてくれる。

手足がバタバタせずにしっかり抱きしめられたような格好のほうが赤ちゃんが安心する、というのがその理由である。)

を隣にして、疲れた頭と身体をベッドに横たえたとき、あまりの幸福感で部屋がぼうっと明るくなるような気がした。

この子の命は、遠い宇宙を通って私のところにやってきてくれた、神様からの贈り物だ。

たとえこの先何が起ころうと、この子に対する私の愛情は絶対に変わらない。

そんな、自己犠牲もいとわない強い愛情の対象を初めて得た幸せで、心が一杯に満たされた。

でもいくら愛しているからといって、この子を愛情で束縛して重荷になることだけは避けよう、とも思った。

自分の気持ちが犠牲になることも敢えて受け入れる。それが親の愛である。

そうしてまた、私自身親に愛されてきたのだと、そのことを確信した。

愛は人から人へ、こうして受け継がれていくものだということ。愛情深い親に育てられた子は、きっと幸せになる。

そして幸せに育った子は、また愛情深い親になるのだ。

そして、昨日まではお腹に入っていて、今日いきなりこの世に出てきて初対面したばかりの、別の人格を持ったもう一人の人間に、

こうまで深い愛情をいきなり抱いてしまう人間性の不思議。そう、脳科学者に指摘されるまでもなく、

これもまたホルモンとか脳内物質とかその他いろんな化学物質のなせる「母性」とかいうワザなんだろうな〜。

まったく。私は本能の趣くまま、ホルモンに操られっぱなしの、実に動物的なオンナなんだ。(さかな)

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