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メルボルンの歴史 レッドヘッドマッチ

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ブライアント&メイ Bryant & May

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この工場で豪州中のマッチを生産していました。レッドヘッドマッチの名前は、豪州人で知らない人はいません。チャーチ通り側には、フィトネスファーストやフェラーリが入っています。フリンダース駅からサウスヤラ駅方面へ向かう際に、ヤラ川を渡りますが、ヤラ川の直ぐ手前の左側に大きな建物があります。ブライアント&メイ(Bryant & May)と書いてあるのが見えます。この建物は、1909年にEmpire Worksとして建築されましたが、すぐに英国の安全マッチの会社、ブライアント&メイ社に買収されました。1980年代に生産を停止するまで、豪州では有名なレッドヘッドマッチ(Readheads Matches)を生産しました。当時は、労働事情が非常に悪い時代でしたが、同社は、現在でも稀なほど労働条件が良いモデル工場として有名でした。1920年代には、労働者のためにテニスコートやボーリング場が建てられています。

その後は、輸入品に価格で太刀打ちできずに、すべてスウェーデンからの輸入に変わっています。

本文と画像 ブライアント&メイ Bryant & May

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