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GO!豪!!メルボルン お出かけシリーズ Vol.19 Prince’s Bridge

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Vol.19 Prince’s Bridge

Prince’s Bridge

凱旋門 Municipal Arch

メルボルンを代表する河川と云えば、もちろんヤラ川。メルボルンを代表する橋は、間違いなくヤラ川にかかるプリンセス橋だ。メルボルンの歴史的な意義で も、実際の重要性でもプリンセス橋の右に出る橋は無い。移民の歴史、鉄道史上の重要性というふたつの点では、サンドブリッジ橋が勝っている。四季折々に感 じ方は違うが、バランスの取れた優美な姿は、メルボルンの美しい姿に調和している。

建築年:1888年10月4日

場所: スワンストン通り(Swanston Street)-セントキルダ通り(St Kilda Road)

設計:John Grainger (1855-1917)

建設:David Munro

建築時代:ビクトリアン 

全長:120m、幅30m

橋げた:3本 橋げた間の距離:30m

登録:ビクトリア州遺産 Victorian Heritage Register

デビッド・ムンロー(David Munro)は、当時の橋の建築では有名で、サンドブリッジ橋、クイーン橋なども請け負っている。1888年は、メルボルンの建築ラッシュの年で、数多く の名建築物が建てられている。当時、メルボルンやオーストラリアに製鉄所は無かったので、大量の鋼鉄は、英国、アメリカから帆船で輸入したものだ。

プリンス橋(Prince’s Bridge)は、王女(プリンセス Princess)の橋では無い。当時のエドワード英国皇太子(Edward, Prince of Wales)に由来している。エドワード皇太子は、ビクトリア女王の長男で、ビクトリア女王が1901年に亡くなった後の英国王。

ビクトリア女王の統治時代をビクトリアン。エドワード王が1910年なくなるまでに統治した時代をエドワーディアンと言い、メルボルンの建設から繁栄の 時代であったためにメルボルンの多くの建設物にこのふたりの名前がついている。ふたりの銅像は、プリンセス橋の南側から歩いて5分のクイーン・ビクトリア 公園にある。

1901年にオーストラリアは、英国の植民地から独立して英国連邦の一員としてオーストラリア連邦(Commonwealth of Australia)となった。最初の首都は、メルボルン。この際、メルボルン市内に9つの凱旋門が建築された。そのひとつがプリンセス橋の上に建築され た。凱旋門は、プリンセス橋の南詰め(サウスバンク側)に建築された。

写真の凱旋門の中央部に船が見えるが、前方舳先方向がセントキルダ方面、後部がシティ方面と思われる。

ビクトリア州政府画像

ビクトリア博物館   連邦の記録pdf

州立図書館 

Walking Melbourne

Vicnet

 

現在の橋は、3番目に架けられた1888年のもの。補強工事は行われているとはいえ既に120年を経過している。メルボルンに一般車両の通行が禁止になる日もそう遠くないと思われるが、その日までがんばってもらいたい。

プリンセス橋トップ

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