手
ある感謝祭の日に新聞を読んでいると、一つの記事が目に付いた。
それは、ある小学校の先生のこんな話だった。
その先生は自分のクラスの一年生達に、感謝祭にちなんで自分達が何か感謝しているものを得に書くように言った。
しかし正直なところ、この学校に通う子ども達の家庭は貧しく、感謝するものが何もないかもしれないと思った。
ほとんどの子ども達が、肥った七面鳥か、テーブルに山と盛り上がった感謝祭のごちそうを想像して描いていた。
子ども達なりの夢だったのだろう。
ところが、ダグラスが書いた絵は、先生を驚かせた。
それは、子どもっぽい単純な先を使った「手」の絵だった。
一体誰の「手」なんだろう?
クラス全員がこのなぞめいた抽象画にすっかり心を奪われた。
やがて、一人の子どもがこう言った。
「きっと神様の手だよ。食べ物をその手いっぱいに持ってきてくれるんだ。」
「ちがうよ。きっとお百姓さんの手だよ。だって七面鳥を育ててるのはお百姓さんだもの。」と別の子が言った。
生徒達は思い思いに想像をめぐらせていたが、やがて静かに自習を始めた。
先生はダグラスのそばに歩み寄ると腰をかがめ、こっそり話しかけた。
「ダグラス、あれは誰の手だったの?」
「先生の手」
と、ダグラスの消え入りそうな声が返ってきた。
先生は休み時間になると、ひとりぼっちでいるダグラスの手をしばしば握ってあげたことを思い出した。
特別扱いしたつもりはないが、その手は彼をとても幸せな気持ちにさせたのだろう。
私は、感謝祭とはあたえられたものや行為に対して感謝するひだとばかり思っていた。
しかし、この記事のお陰で、感謝祭のもう一つの意味がわかった。
どんなささやかなことでも、人に何かをしてあげるチャンスを与えられたことに対して感謝する日でもあったのだ。
作者不明
-こころのチキンスープ -より
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