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お放しくだされ、梶川殿〜!

さてさて、ついに12月14日。何の記念日かって?決まっているでしょぅ、12月14日と言えば、「時は元禄15年、12月の14日〜。打ち鳴らすは一打三流、山鹿流の陣太鼓〜」そうです、赤穂浪士の討ち入りですよ。

時代は江戸の元禄の世。元禄14年3月14日に江戸城松の廊下で赤穂藩のお殿様、浅野内匠頭が、吉良上野介に突然切りつけたという事件が発端ですね。もちろん浅野のお殿様は切腹となり、吉良上野介は被害者ですからおとがめなしでした。指導をする立場の吉良にお伺いを立てても、まったく教えてくれなくていじめられたうえ、「赤穂の田舎侍」とバカにされたので逆上して切りつけた、という俗説がありますが、そんなわけで赤穂藩の人たちは主君の仇を討とうと、家老の大石良雄を筆頭に47人が仇討ちに立ち上がります。

そして今日の“その時、歴史が動いた”は、元禄15年12月14日(西暦1703年1月30日)の吉良邸への討ち入り、というわけです。

いわゆる「忠臣蔵」としてあまりにも有名なお話ですが、でも、これっていまで言えば、過激派のテロリストってことじゃないですかね。47人が徒党を組んで、深夜未明にお屋敷を急襲し、親分の首を取る。ヤクザの世界ですよね。まあ、東映ヤクザ映画も大人気でしたから、この手のお話は非常に受けるんですよ。でも過激だから、戦後の米軍占領下ではGHQによって忠臣蔵の映画や歌舞伎などは禁じられました。つい先日まで戦争していたわけですから、当然ですね。

忠臣蔵はほとんど面白可笑しく創作された物語で、かなり脚色されているというのはみなさんご承知の通りです。でも、その物語が面白いから、後世まで延々と語り継がれ、歌舞伎や講談、映画にテレビドラマと続々と作品が現れてくるわけです。私にとって最初の“忠臣蔵体験”は、長谷川一夫主演のNHK大河ドラマ「赤穂浪士」でした。そうそう、アニメの「わんわん忠臣蔵」も面白かったですね。ハリウッド映画にまでなるほどですから、赤穂四十七士は世界に誇るスター連中ですね。みなさんの“忠臣蔵体験”はどんなものですか?

討ち入り後、46人が(一人は逃れています)切腹を命じられるのですが、江戸幕府は扱いに困ったようです。当然、討ち入りは義挙だとして賞賛する意見もありました。主君の仇に報いる忠義の武士との見方があったのです。でもこれを許すと、赤穂が正義で吉良は悪となり、松の廊下事件で浅野に切腹を命じた幕府はどうなるの?ということで、後々、厄介なことになっては困るので、さっさと切腹を命じたわけです。

忠臣蔵の背景には武士道の精神があります。「武士道と云ふは、死ぬ事と見付けたり」(葉隠)などと言われますが、武士道は「忠義」「忠節」を尽くす道徳観、倫理観だという考え方があります。ですから戦前の国家主義者たちは日本民族の道徳、国民道徳だと言っていました。

武士道といえば、新渡戸稲造ですね。1900年に「Bushido: The Soul of Japan」という英語の本をアメリカで出版しました。(日本では1908年に「武士道」として日本語訳が出版されます。)  この本に影響を受けた人には、アメリカ大統領をはじめ多くの人がいます。新渡戸稲造はキリスト教徒なんですが、どうして武士道なんでしょうか。

彼はアメリカに行った際にキリスト教徒の倫理観の高さに感銘を受けたと言われています。その点、日本には宗教教育がないということに気づき、何を日本人の精神的な柱とするか考えた時、武士の生活態度やその信条に日本人の精神性を見出したわけですね。武士というのは社会に対して義務を負っている、高い倫理観を持って自己を律している、というわけです。そこで日本人は倫理感が高いんだ、社会全体に対して義務を負い、道徳的な存在なんだと言って、国際社会における日本人の優秀性を強調します。

そんなこと言われても、今日の日本人には武士道の精神なんかこれっぽっちも持ち合わせていませんよ、と言いたくなるほど変わり果てた日本人ですが、過激派のテロリストにはならなくてヨカッタです。

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