最近ふと思い出した、とある小説の一節が頭の隅から離れない。
村上春樹の著書の一冊に「1973年のピンボール」という小説があるのだが、
その中で彼はこんなことを言っていたように思う。
「物事には必ず、入口と出口がなければならない。」
入口しかない物事の一例に「鼠捕り」を挙げ、
罠にかかって数日後に死んだ鼠の姿を見て刹那的(よりもう少し道理的)な表現の意味合いで
この一節を用いたのではと勝手な解釈をしていたのだが、
今朝になって、なぜこのフレーズが
やけに思い出されたのかがようやくわかった。
今回のこの原発問題。
果たして「出口」は存在するのだろうか。
以下に紹介する「原発解体」のドキュメンタリー映像の中にある、
利便性を極限まで追求し、原発という多くの「入口」を作り続けたこれまでの人間の歴史と、
なかなか「出口」の見えてこない廃炉という困難な解体作業の実態が、
その小説の一節を想起させたのだと思う。
我々人間の力ではコントロールしきれない強大なエネルギーが世界各地で存在し、
人知を超えた取り返しのつかない事態を招きうる可能性があるのだと映像を見て改めて感じた。
自分たち人間の手で解決できない物事はするべきではないし、
出口のない森に迷い込んではいけない。
動画は3部構成になっていますが、(1)だけここではご紹介します。
続きを見たい方は動画下のリンク先を訪れてください。
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