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誰も知らない秘密の島inフィジー、ヌクンバティ アイランドリゾート(その3)

     

ヌクンバティアイランドリゾートはフィジーで2番目に大きなVANUA LEVU島の北部沖合いに浮かぶ、小さな離れ島です。話は19世紀半ば、フィジー王ザコンバウ(↑この人)がキリスト教へ改宗、英国保護領となる頃にさかのぼります。当時、北方から攻めてくる敵から領土を守る防人、リトバという大酋長がこのあたり一帯を支配していました。これがフィジー語で、『砂の戦士』を意味するヌクンバティアイランドリゾートの名前の由来です。

 

ヌクンバティの歴史はリトバ酋長が、ここに流れ着いた1人のドイツ系アメリカ人、ジェイコブ・ステイナーという武器商人へ、彼の銃と引き換えに島を割譲したことからはじまります。リトバ大酋長はフィジー王ザコンバウが英国保護領としての譲渡条約に調印する際の証人の1人として、当時の首都オバラウ島レブカに呼び出され、署名させられた後に処刑されてしまいます。(この地方には食人の風習があり、リトバ大酋長はそちらのほうで相当名を馳せていたという)一方、ジェイコブのほうは村の女性と結婚し、彼らの子孫は5世代に渡り、この島で平和に暮らしています。

 

 

 

 

 

一世紀の後(1980年代終盤)、オーストラリア人実業家の夫妻がこの島にリゾートを建設することを決断します。奥さんがこの島の近くの村の出身で、オーストラリア人の旦那さんは、奥さんの里帰りに伴ってたびたびこのあたりを訪れる機会に恵まれました。そして次第に、かけがえのない故郷の自然、人々の素晴らしさ、その価値の尊さを、もっと多くの人に知ってもらい、その対価を地域に還元したい!と強く心に抱くようになります。

 

とはいえ、何しろここはフィジー本島からも、バヌアレブ島の一番大きな町からも離れているため、ライフライン(電気、水道、ガス、電話など生活に必要なもの)のインフラといえば、対岸まで続く凸凹の道路以外に何もありませんでした。地域住民といっても、電気や水道のない昔ながらの生活をしている人々です。こんな人里はなれた辺鄙なところにリゾートを建設するなど、まともな実業家の考えることではありませんが、それ以上に彼らの思いは強かったのです。

 

最初にクレーン車、ブルドーザー、トラクターなどの重機、建築資材や発電機を船で運び、積荷を砂浜に下ろすわけですが、これには大勢の屈強なフィジアンの体力が必要でした。船が座礁しないように、午前中が満潮になるタイミングで積荷をのせた船や村人を集めるわけですが、来るはずの船や資材が遅れたり、いるはずのフィジアンが現れなかったり、物事は計画通りにはかどりません。

  

 

   

しかし、彼らには熱い情熱と強い確信がありました。『Nothing is impossible(やればできる)!』それと同時に、誰にも真似することができないこと、即ち、彼らだからこそ地元コミュニティーの協力が得られるという勝算もありました。何度も計画を練り直した末、おおぜいの村人や技術者の尽力を得て1992年、遂に部屋数わずか4室のリゾートを開業させました。

 

(つづく)

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