未分類

【子育て】 シドニー共育日記(第17回) ママたちのあくなき願望(その3)〜教育は胎教から?

子供は健康で幸せに育ってくれれば、それだけで神様に感謝すべき僥倖である。だけど、悲しいかな、

どうしても「もっと上」を望んでしまうのも親のサガかもしれない。

 
健康で五体満足なだけでは飽き足らず、「より強く、大きく、賢く、美しく」と願望は高まるばかりだけれども、

それは決して親となる人のせいとばかりはいえない。競争の厳しい世のなかを上手く渡っていこうと思えば、

人より強く、賢く、美しい、などの条件を備えていたほうが、人生をより有利に過ごしやすいからである。

ひいては幸せを作る土台となる生活環境を得やすくなる。

 
「人間は平等」というが、家庭環境も親の経済力も、持って生まれた才能や容姿も、何一つ本当に平等なものはない。

子供は親を選べないから、生れ落ちたその親の生活条件の下で、その親の遺伝子を受け継いで、

そこから自分の人生を切り拓いていかなくてはならない。だとしたら、親としては何とか自分の出来る範囲で、

少しでも自分の子が有利になるように育てようと望むのも、ある種自然な流れかもしれない。

つまり、教育熱心になるわけだ。

 
この「教育熱」は赤ちゃんがお腹にいるころから既に始まってしまうらしい。「胎教」とかいうものである。
私自身に関して言えば、妊婦自身が健康でハッピーに妊娠時代を過ごせれば、お腹の赤ちゃんにも悪くないはずだ

と信じており、特に「胎教」と呼べるようなことをしたことはない。

実際、妊娠中は体調や気分の変化もあったし、引越しも重なってストレスが多く、夫と喧嘩したこともあった。

9カ月の間、常に心穏やかでいることはそれこそ不可能に近い。

それでも可能な限り、ゆっくりお風呂に入ったり、好きな音楽を聴いたり、軽い運動をしたり、

あれこれ赤ちゃんグッズを買い揃えたりしながら、心楽しく穏やかに過ごすことを心がけてはいた。

 
一方、巷にはいろんな胎教情報があふれており、それを忠実に実行している人も多いようだ。

いわく、「赤ちゃんの‘英語の耳’を育てるためにお腹にいる今から英語の歌を聞かせましょう!」

という英語のCDから、クラシック音楽、声かけや本の読み聞かせなど。

どれも赤ちゃんに悪いものではないだろう。でも本当にどれほどの効果があるのだろうか?

特にCDなどを購入してまで胎教ビジネスに貢献する必要はあるのか?

 
胎教は妊婦にとって自分がリラックスできて楽しめることの範囲にとどめておいて十分ではないかと思う。

ちなみに、取り立てて胎教をしなかった私の子供たちも‘胎教の効果’と呼ばれるような、

「心が穏やか」 「夜泣きやぐずることが少ない」 「理解が早い」というような性質を持って生まれてきてくれた。

それは「ゆっくりお風呂に入ったり好きな音楽を聴いたり」したからなのだろうか? そのくらい誰でもすることではないか?

私はお腹の子にわざわざモーツアルトを聴かせたり、絵本を読み聞かせたりはしていない。

要はあまり情報やコマーシャリズムに振り回されないことである。
 
(さかな)

この記事をシェアする

この投稿者の記事一覧

概要・お問い合わせ

その他の記事はこちら