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アメリカをバカにしていた日本

いよいよ12月8日です。はい、しつこく今度は日本時間による日米開戦のニュースです。

と、その前に、今日はジョン・レノンの命日ということで、 日本の武道館では「ジョン・レノン音楽祭2010」という追悼コンサートが今夜催されるそうです。1980年12月8日、ビートルズ(当時解散)のジョ ン・レノンがニューヨークの自宅アパート前で射殺されたのですが、2010年はジョン・レノン生誕70年で没後30年、またビートルズ結成50周年とも言 われています。それにアップルのiTunesにビートルズの曲がアップされたという記念の年となりました。

当時、メルボルンを旅行していた私は、屋外の電光掲示板でのニューステロップを見てジョン・レノンが亡くなったのを知ったのですが、彼の死はオーストラリアはもちろん、世界中に衝撃として伝わりましたね。

で、突然、69年前の今日、戦争を始めてしまった日本のお話。

1941年当時の日本は、中国大陸での戦争の泥沼化、アメリカなどの経済制裁、いわば暗い時代だったわけです。そんな状況を打破する「我が帝国陸海軍は、本8日未明、米英と戦闘状態に入れり…」というラジオ放送に、国民はみな欣喜雀躍、興奮熱狂したわけです。

当時の人たちの証言によれば、「やったあ!」「すかっとした」「血わき肉躍るような気持ちだった」などと言います。また、「白人にいじめられてきたアジア 人が立ち上がり、日本国の新しい歴史が始まる、と身震いするようだった」との言葉もあります。(毎日新聞の特集「わたしの12月8日:日米開戦の記憶」より)

そんな高揚した気分で日本国民一丸となって迎えた日米開戦も、ご存知のように被害甚大な戦局に突入し、最後は原子爆弾の洗礼を受けて敗戦となります。「神 国日本は必ず勝つ」との精神論で突き進んだ戦争でしたが、おびただしい数の戦死者を出し、また、カウラ事件に見られるような無意味とさえ言われてしまう無 惨な行為を生み出して、ようやく戦争が終わりました。

いったいどこに原因があるのでしょうか? 私は、国際感覚の欠如役人の事なかれ主義ではないかと思うんです。

いわば、当時の日本は、今日の北朝鮮です。

当時、日本の軍部では、アメリカ兵はチューインガムを噛んでダンスに興じ、上官に対しても友だち言葉で話したりと、およそまともな軍隊ではないとの意識が ありました。精神がなっていない米軍なんかに負けるわけがないというものです。また、米軍と日本軍との戦力費を調べた際、10対1の比率だったのを、この 数字ではまずいということで軍上層部には5対1と報告するわけです。そして軍の指導者たちは、「アメリカにとっては太平洋は遠いところだ、我々は身近な太 平洋で戦うのだから、この戦いは五分五分だ」などと気勢を挙げるわけです。

もちろん当時の軍指導層のなかには、アメリカをよく知る人や、その工業力を侮れないと考える軍人もいたのですが、大勢の前では意見も通らず、無視されてしまいます。

また、当時の外務省の暗号電報がすべてアメリカに解読されていました。ですから真珠湾奇襲攻撃に至る日本の動きもかなり読まれていたわけです。ところが外 務省はそんなこととはつゆ知らず、懸命に外交交渉を繰り返しています。その時、陸軍の参謀で暗号が解読されているようだと気づいた人がいるんですね。でも この人、外務省にいる友人には結局、そのことを伝えなかったんです。自分の仕事ではないし、外務省の問題だし、外務省も気づくだろうと思ってしまうんです ね。(「『昭和』を点検する」保阪正康・半藤一利、講談社)

笑ったのは、当時日本では威勢のいいスローガンが唱えられていました。「鬼畜米英」「米機撃滅」などですが、なぜか「英機撃滅」とは言いませんでした。ア メリカの飛行機は撃滅するのに、どうしてイギリスの飛行機は撃滅するとは言わないのか? 当時の軍の指導者で首相の東條の名前が「英機」(ひでき)だった からというんですね。そんなところに気を使うような役人根性がどうしようもないですね。

こんな国際感覚の欠如と役人の事なかれ主義は、現在でもさまざまな面で目にします。心配なのは、最近の若い人たちが内向き志向で、海外に出たがらないとい うことです。商社などに入社しても海外勤務を嫌がるという新入社員が多いと聞きます。こんなことでは日本人の国際感覚はいったい、どうなっていくのでしょうか。

(写真:Roy Kerwood)

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