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同性結婚法案が否決 ~タスマニア州上院にて~

オーストラリア史上初めて同性結婚が認められるかもしれないと注目されたタスマニア州の同性結婚法案が、同州の上院にて昨夜8対6で否決された。

2日間に及んだ議論では賛否両論が激しくぶつかり合いました。

賛成派

  • 法案の成立は同性愛者差別を減らす要因になる。(Mr. Finch)

  • 社会が同性愛者を受け入れていることの証明になる。(Mr. Finch)

  • 世論の支持がある。(Mr. Valentine)

  • 例え法案の成立が(連邦政府から無効とされるため)一時的なものだとしても、成立させたということに意義がある。(Mr. Mulder)

     

反対派

  • 私は、同性愛者が「自分らしくありのままでいてよい」と思える社会に暮らしたい。しかし、この法案がそれを実現するとは思わない。(Ms. Taylor)

  • タスマニア州民の多数が同性の結婚に賛成しているという資料がない。(Mr. Dean)

  • たとえ本法案が成立しても、連邦最高裁判所において無効な法律だとの判断を下される可能性が十分にある。そうなれば巨額の法務費用が必要になってくる。このような税金の無駄遣いは納税者に対し無責任である。(Mr. Hall, Mr. Wilkinson)

 

これらの議論に対し、活動家のRodney Croome氏は、オーストラリア史上で一番同性結婚法案成立に迫る有意義な討論だったとして評価した。

一方で、賛成派のタスマニア州長は、反対派の議論は法案に違憲判断が下される可能性が高い点に固執しており、同性結婚を認めるべきかという本質から逃げているとの見解を示した。

 

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筆者コメント

ちなみにオーストラリアでは、同性カップルの事実婚(デファクト)は認められています。また、事実婚は婚姻関係にあるカップルと全く同じ権利義務が与えられています。つまり、同性カップルであっても実質的な不利益を被らないよう制度は既に整っています。 

それでも”結婚願望”があるというのは、「結婚」が持つ特別な意味がそうさせるのだと私は思うのです。それには単に政府の定める制度としての「結婚」だけではなく、各宗教の倫理観が反映された「結婚」のあるべき姿、伝統的に社会の中で定義づけされた「結婚」の形があります。結婚が許されないというのは、同性愛が宗教の教えに反していることや、伝統的な倫理観に反すると烙印を押されていると受け止められているからではないでしょうか。

私の個人的な意見では、人々の生き方や家族の在り方が多様化したオーストラリアの社会において、従来の「結婚」を用いて社会制度を成り立たせようとすること自体が、制度の行き詰まりではないかと思うのです。

そこで、

政府が社会制度上「同性結婚」を認めるか認めないかは判断しないという立場をとるのはどうでしょう。その代り、宗教や倫理観とは切り離した「Civil Union」なりの新しい概念のもと、同性・異性カップルを同等に扱う社会制度を整備するというのはどうでしょう。従来通り結婚したいカップルは、各宗教の教えやセレブラント等の様式に従って結婚するようします。同性結婚を認めるかの判断は、それぞれの宗教やセレモニーを取り仕切る団体にゆだねます。結婚したという事実は「Civil Union」や「ディファクト」関係を証明する証拠として制度上扱われますが、「婚姻関係」が制度上特別なステイタスを持つことはありません。うーん、なかなか丸く収まるように思うのですが、どうでしょう?

私の意見はさておき、日本の国会においてタスマニア州のような議論がされる時が来ることは、まだ想像もつかないですよね。多くの在豪日本人の方にとっては、オーストラリアでの出来事は対岸の火事ではないでしょうか。日本で同性結婚法案が議論されるとすれば、私自身も今より色々な思いが湧き上がってきそうです。みなさんは婚姻の平等(marriage equality)についてどう思いますか?

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