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自然と建築が対話する都市をカタチにする建築家/髙田浩一

シドニーで生活する日本人にとっては一度は見たことがあるであろう、波打つ天井のデザインが特徴的な一風堂ウェストフィールド店の内装や、スシトレイン・サザーランド店の花見をモチーフにした「TREE」。建築やインテリアという人工物でありながら、自然の一部として自立した生命感に溢れ、ナチュラルに場に溶け込み、心地良い時間を創りだす。

今回、トークランジに登場の髙田浩一氏は、2008年にシドニーで建築事務所「KOICHI TAKADA ARCHITECTS」を設立し、数々のユニークな建築物の設計を手がけ、現在ではLA、メキシコシティ、東京、ドーハ、ジャカルタなど、世界トップクラスの建築家として多くのプロジェクトを持つ。

香港、シンガポール、東京、ニューヨーク、ロンドン、そしてシドニー。幼少期から数々の都市での生活を経験し、そこからたどり着いた「自然」と「ナチュラル」という答え。形式や機能を追い求めるだけではない価値を、街の顔を造るという建築の魅力を、そして作品の細部に宿る生命感の秘密を、日系メディア初登場となる本インタビューで話しを伺った。

さまざまな文化に触れて育った少年時代

父が海外を拠点にビジネスを展開する中、家族で香港、シンガポールと移住して、 東京に戻りました。さまざまな都市で生活して、さまざまな文化に接する機会を小さい頃から与えてもらえました。

香港、シンガポールと移り住み、日本に戻った冬の日のことを今でも覚えています。大雪の日で「こんな寒いところなんだ!」と思った驚き。香港、シンガポールはとくに暖かく四季がないですね。ところが日本には繊細な季節の移り変わり、地震もあれば台風もあるし、自然が常に身近にあると子供ながら肌で感じたんです。日本で自然と共生する知恵を日々の生活から学び、また自然を敬愛するきっかけに。

自然破壊の都市開発への疑問

日本での幼少期は多摩川の自然と共に成長していった感じが強いですね。毎日のように、多摩川で魚捕りをしていると、工場や生活排水で自然環境が変わっている様が子供ながらよくわりました。

多摩川の辺りが都市開発されてビルが建つと、あれだけいた魚もザリガニも徐々にいなくなっていくわけですね。都市が成長していく裏で自然が犠牲になっていく悲しさ。自然の尊さが失われていくのを体験してきた。今建築家として「自然と都市」の対話を再確認しないとダメですね。


商業施設East Village内のインテリアデザイン(写真左:イメージ)

エンジニアリングとアートの混合、そして建築家へ

アメリカ生まれのBMX(自転車のサーカス競技の一種)に夢中になってた高校生の頃、ストリート文化を象徴するアメリカに憧れた。特に摩天楼のニューヨークに行きたいと思って模索し、アート系の道へ進もうと思ったわけです。が、両親に相談したところ、それでは生活ができないと大反対された。

父は音響機器のエンジニアを専門で大企業の経営者で、母は俳句やお茶、生け花の先生で日本古来の「美」に嗜みがあったので、そんな両親の才能であるエンジニアリングとアートを混ぜ合わせた職業だと説得。建築の道に進むことに決心しました。

もちろん当時は日本で大学進学が主流で、留学することはまだ珍しかった時代です。そんな決断をサポートしてくれた両親には今でも感謝の気持ちでいっぱい。そして、18歳で渡米しました。

ニューヨーク、ロンドンで構築した建築家の基礎

ニューヨークにいたのは4年間。市立大学に入学して、初年度は一般教養も必要だと言われ、教授に建築分野だけを勉強したいと、なんどもなんどもお願いしたのを覚えている。

当時は建築のことを勉強したい一心でしたが、教授がなぜ建築以外のことをやらせていたのか、今になって良くわかりますね。斬新な建築のアイディアやインスピレーションは意外と建築分野の外から湧く。専門の中にいると、ユニークなモノ造りはできにくいじゃないですか。

ニューヨークのマンハッタンには多くの世界トップの建築家が事務所があります。学生時代、そんなスター建築家のレクチャーを受講したり、個人的に話しを聞きに行ったりと、常に刺激に飢えた毎日を過ごしていました。建築の熱意だけは誰にも負けない位にありました。それが伝わったのでしょうか。大学の教授が、「そんなにトップレベルの建築を勉強したいんだったら、ロンドンの学校に行きなさい」と勧めてくれ、ロンドンのAAスクールという建築学校の門を叩くことになります。

AAスクールでは、建築界のノーベル賞といわれるプリツカー賞を獲った建築家を多く輩出していて、先生のレム・コールハースもプリツカーを受賞しているし、女性初のプリツカー賞を獲ったザハ・ハディッドもいました。とにかく発想が飛び出てるっていうか、すごく先鋭的でこんな建築の世界もあるのかと。AAスクールで 世界のスター建築家から刺激を浴びながら建築を学びました。建築を一心にできる教育環境が素晴らしい。毎日がとても楽しかった。

逆転の発想を学んだトイレ掃除

AAスクールの最終学年、亡き黒川紀章先生が、当時若手の妹島和世や隈研吾を含む日本の有望建築家9人を連れ来英された際に、その中の一人であった北川原温さんの通訳をお手伝いしました。その出会いがきっかけで、卒業後は東京に戻り、北川原温建築都市研究所に就職しました。

北川原さんから斬新な建築の設計はもちろん、建築以外の社会勉強もさせてもらいました。新卒の僕に与えられた最初の作業はトイレ掃除。それは僕にとってとてもショックでした。ある日、父に相談したのを覚えてます。「ニューヨーク、ロンドンでトップの教育を受けたのに、なんのために帰ってきたか?」。そうしたら温厚な父にも怒られました。「新卒にやらせるのには絶対に理由がある。それを探してこい!」と。でも自宅に帰ってくるのは深夜2時で、朝は6時に起きて、疲労で堆積してまともに考えられる状態ではありませんでした。それでも、嫌な作業でも必ず習うことがあると信じて続けました。

ある時、毎日のようにトイレ掃除していて「あれ?」っと思ったんです。「このトイレ……、すごいな」と。実はこのトイレも北川原さんの設計で、トイレ掃除をするのなら、ディテールから、材料からすべて習ってやろうという意識が芽生えて。そこから、観察をしたりスケッチをしたりして、僕がトイレから出てこなくなったそうで、「早く出てこい、何やっているんだ」なんて逆に怒られました(笑)。

たまにどこでインテリアの教育を受けたのと聞かれます。そしたら、「トイレで」と僕は冗談混じりで自分の体験談を話します。挫折か、チャンスか? 建築もビジネスも人生もそうですが、ものは見方次第ではないでしょうか? その発想の転換、逆転の発想は今でも大いに役立っています。

日本の雪、オーストラリアの太陽

北川原温建築都市研究所を通してシドニーのコンペの話がありました。英語も話せるし、これは「自分にやらせてくれ」と手を挙げました。その際、初めて渡豪したことが、今のシドニーでの活動に繋がります。

僕にとって、日本での最初の衝撃が雪だったのに対し、オーストラリアでの衝撃は太陽。赤道を超えた時、なんか体がすごく元気になる。オーストラリアの光というか、空気というか、 すごく自然も豊かで、とにかく第一印象が良かった。人も暖かく、みんな裸足で通りを歩いていた時代。なんだか人が自然体で受け入れられる場所だと感じた。

ニューヨークにいた時に教授によく言われました。「建築家になるには、ひとつの場所に定住して、地域の気候・文化や経済を含めて理解しなければいけない。」って。その言葉はずっと頭の中にありましたが、ニューヨークもロンドンも東京もなぜか素直に選べなかった。シドニーに来た時にようやく「ここだ」と思えることができました。

これを機に日本から転職し、シドニーの大手事務所で働きました。その後、オーストラリアではトップ建築家の下でコンペをやらせてもらったり、地元の風習や設計のルールだったり法律を習いました。そのオーストラリアで設計する時の印象は、レギュレーションがとても厳しく、なかなか自由な表現や新しいものできない。

「斬新な設計をすることは、そのルールをどういうふうに、またどこまで曲げれるか」と問うこと・闘うこと。子供の時、先生に線から出ちゃダメと言われると、僕は意地でも出てやるってタイプでしたから。今の自分も一緒。線を引かれると、出たくなっちゃう(笑)。「ルール違反」はクリエイトする作業で不可欠だと思います。


一風堂オーストラリア旗艦店であるウェストフィールド店の店内(写真左:イメージ)

新しい発想をすることは、人を引き寄せる力がある

シドニーで10年間実務・実施設計を一通り習って、そこからリーマン・ブラザーズ破たんに始まる2008年の世界金融危機。毎週、数十人単位でみんな切られていく時期でプロジェクトもほとんどが一ヶ月以内に全部止まりました。

その頃、尊敬している日本人でプリツカー賞を獲った伊東豊雄先生がシドニーにいらっしゃって、その時に仰っていたのが、伊東さんが独立された時も、すごく景気が悪い時代、でも逆にそれがチャンスになったと。その言葉を励まされ、そこから退職をして起業の準備を始めました。周りの人にはクレイジーだと止められましたけど。

大手企業は困難に陥り、どこも仕事がなくなっていく。僕の事務所はノウハウもあるし、費用も大手の建築事務所に比べれば安く済む。いい仕事をすれば、必ずプロジェクトも入ってくる。そう信じてやりました。

しかし実際には、まあ大変でした(笑)。常に120%でやっていかないと、すぐ自分を見失うって状況。崖から海に飛び込んで、浮き輪なしで泳ぎ続けるような感じ。泳ぎ続けなかったら溺れる。だから頑張る。いつか島は見えて来る。島に絶対たどり着くと信じ続ける。そんな感覚だったでしょうか。とにかく今でもそうですが、毎日全力疾走です。

最初は教科書通りの設計をやっていても、作品としてはあまり表には出なかった。ビジネスも続かない。「これじゃあ自分のためにならない」、「新しい発想を産み出さないといけない」と、そこでチャンスをいただいたのが、スシトレイン・マルーブラ店の通称、「Cave」(洞窟のような音響効果があるレストレラン)です。施主も僕もみんなギリギリのところで、すべて賭けてやったプロジェクトですから常に緊張感があった。施主と怒鳴り合いながら一生懸命やったのを覚えてますよ。僕も発想を形にしなきゃだめだし、全身全霊でやった。あの感覚は素晴らしかったですね。


スシトレイン・マルーブラ店の通称「Cave Restaurant」(写真左:イメージ)

施主と作品を信じて、悪戦苦闘でも諦めなかった。それが作品にも伝わったのでしょうか。開店した時の反応もすごかった。300mくらいの列ができ並んで入れない、40分待ち、それでも人が列を成していて。建築にはこんな可能性があるんだと施主と共に感動した。どんなことでも新しいことを創造することは常に勇気をまとう。結果として人を引き寄せる力や成功を生む、と。そこから始まり「Tree」だったり、「Shell」だったりと作品が順調に進み、続々と産まれていくきっかけになりました。

そんなチャンスを頂いたスシトレイン社長と各店舗のオーナー方々には、感謝しても感謝しきれない。奇抜のことをやるわけじゃないですか、建築家は。僕の想像力を信じ、 ルールにとらわれず、やりたいことを自由にやらせてくれたわけです。このような施主が僕を訪ねてくることは多いですが、なかなかここまで理解してくれる方はそうあまりいない。一緒に夢を見る施主は実に心強い。特に大切にしたいですね。

量よりは質、コンペで手にした未来

同時期に、紹介でパリのルイ・ヴィトンの本社でプレゼンをさせてもらったんです。ルイ・ヴィトンのトップの方々がいて、その傍らにはフランク・ゲーリーやジャン・ヌーヴェル(建築の巨匠と呼ばれる建築家)の作品が並んでいたりして。事務所を開けた当時なんで作品があまりなかったですけど、作品の量よりは発想の質だと信じて行きました。

そのあと、シドニーに帰ったらセントラルパークの施主から「実はジャン・ヌーヴェルの建築のインテリア・プロジェクトがあって案を出してほしい。」って電話があって。パリから戻ってすぐに準備に取り掛かり、なんとか一生懸命やりプレゼンを成功させたのですが、そのプレゼンの際施主から「実はこれはコンペで、他に有名な建築家が入っているから……、幸運を祈るよ」って。あんな人たちには勝てるはずないと、ショックでガクッときた。でもやはり負けも覚悟、勇気を持って人と違う発想を提案した結果、なんとコンペに勝利。結果として、今振り返るとこのプロジェクトを起点に、他の色々なビジネスのチャンスにつながりきっかけになったんです。「質は量を生む」ですね。


2019年完成予定の「Arc」(写真左)と「Infinity」(写真右)

日本文化と豪文化、そして建築で街の顔を創る

僕はシドニーを拠点に活動できて、ラッキーですね。シドニーは自然も豊富でライフスタイルも抜群。世界の中でもオーストラリアは政治も経済も安定していて、ヨーロッパやアメリカから比べるとプロジェクトもまだまだ多い方です。また文化的にも新しい風習やアイディアを受け入れてもらえるので、建築でも日本文化の繊細さやオーストラリア文化の寛大さも取り混ぜて設計できる。

日本人特有の考え方や感覚は、一種の「世界ブランド」ではないでしょうか。世界の中でも文化的に高く見られている。日本文化の良さ、特に自然感を活かした建築は日本の伝統建築にも反映されています。そんな日本的な「自然」をテーマで設計をし始めてからコンペに勝つようになりました。その結果でしょうか、最近よく言われることがあります。僕の作品は未来のシドニーの街の顔を変える、と。責任を感じますが、両文化の良さを活かせる感覚で設計できることは、とても素晴らしいですね。

シドニー・オペラハウス以後、飛び抜けた建築作品が生まれにくくなったように感じますが、シドニー市民には夢を見ることの大切さを再発見してほしい。僕はこれからも自然との対話を忘れず、シドニー市民の夢や希望をどんどん建築の形に表現していきたい。人々のための建築。建築を通して、人に感動を与えたい。一緒に建築をヒューマナイズしましょう。

髙田浩一(タカダコウイチ)

建築家。日本の高校を卒業後、建築家の道に進むために渡米。ニューヨーク市立大学で建築の基礎を学んだのち、ロンドンのAAスクールに編入。レム・コールハース氏から学ぶ。同校卒業後、東京で北川原温氏に師事し、1998年にシドニーにあるオーストラリア近代美術館(MCA)のコンペに参加。以降は活動拠点をシドニーに移し、2008年には自身の建築事務所「KOICHI TAKADA ARCHITECTS」を設立。現在はさまざまな国際的コンペで多数入賞し、オーストラリア国内にとどまらず、世界中の都市でプロジェクトをプロデュース。代表作は「One Central Park East(Central Sydney)」「Skye(North Sydney)」「Arc(Sydney CBD)」「Infinity(Green Sqaure, Sydney)」「Aqualuna(Milsons Point)」「Pacific Bondi Beach(Bondi Beach)」「Bower(Manly)」 、「Forest Tower(Los Angeles, USA)」、「カタール国立博物館・インテリア(Doha, Qatar)」 など。

 

取材:德田直大、浜登夏海

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