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平昌冬季パラリンピックに幼馴染が出場!でも障害って何だろう?

ウィンタースポーツの祭典、平昌冬季オリンピック・パラリンピック2018が3月18日に無事幕を閉じました。今回はオリンピック・パラリンピック両大会で日本もオーストラリアも過去最高数のメダルを獲得し、両国どちらも盛り上がっていましたね。じつは今回の平昌パラリンピック日本代表の中に保育所から中学校まで一緒だった私の同級生がいたのです。彼女は、バイアスロン(クロスカントリースキーとライフル射撃の複合競技)に出場し、メダルこそ逃しましたがパラリンピックという大舞台で9位と大健闘。私の周りでも地元から出たパラリンピックアスリートということで盛り上がっていましたが、そこでひとつ引っかかることが…「あの子って障害持ってたっけ?」

©️https://www.pyeongchang2018.com/en/paralympics/photos#2018-paralympic-winter-games-closing-ceremony-48

 


バイアスロンに含まれるライフル射撃
©️https://www.pyeongchang2018.com/en/paralympics/photos/Biathlon#

そもそも障害の定義とは何なのでしょうか。広辞苑では「身体器官に何らかのさわりがあって機能を果たさないこと」と定義されています。実際に彼女の左腕は先天的な障害で動きません。しかし、彼女の左腕が動かないからといって、日常生活で差し支えているようではありませんでした。私も幼い頃から知っていたということもありますが、彼女の左腕に違和感を抱いたことはありませんでした。彼女自身も基本的に不自由な様子はなく、ほかの同級生と同じように勉強し、運動し、遊ぶ普通の子でした。中学校に入ってからはバレーボール部に所属し、中学2年生の時には部長になるほど「普通」な彼女をだれも「障害者」だと思ったことはほとんどなかったように思えます。だから彼女が冬季パラリンピックに出場すると聞いた時に少し違和感を感じたのです。

少なくとも私は、一緒に過ごしてきた12年間、一度たりとも障害を言い訳にしたり、障害があるからと弱音を吐く彼女の姿を見たことがありません。本人からしてみたら障害があることで大変だったことは何度もあっただろうけれど、そもそも左腕を「さわりがあるもの」として感じていなかったように思います。逆にそれを己のアドバンテージとして活かし、実際に今回の平昌パラリンピックやその他の国際大会に繋げているのだと思います。そんな彼女や他のパラリンピックアスリートたちを程度はあれど「障害者」と一括りにしてしまうのは違う気がします。パラリンピックでなくても、自分の特性を活かして活躍している人はたくさんいます。また、健常者と呼ばれる人でもできること・できないことがあるのに、「身体器官に何らかのさわりがあって機能を果たさない」ことで分類するのはいかがなものでしょうか。

 


©️http://www.jsad.or.jp/paralympic/what/index.html 

「多様性を認め、創意工夫をすれば誰もが同じスタートラインに立てる」というパラリンピックの価値のひとつ’Equality’は、だれにでも当てはまると思います。見方や考え方によっては、みんな「健常者」で、みんな「障害者」。自ら「障害」という社会的バリアを外し活躍している彼女から、自分の能力を自分で制限しないということを改めて学びました。今後の彼女の活躍に期待しつつも、私も負けないぐらい頑張らなきゃ。

 

文:浜登夏海

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