ヤラ川にある数多くの橋の中では唯一、屋根がかかった歩道を持っています。 これは、北のシティ側に国際会議場(Convention Centre)、南のサウスバンク側に国際展示会場(Exhibition Centre)が出来た際に、この二つの会場を雨でも濡れないで行き来できるように作った為です。スペンサー通りの名前は、英国の貴族第三代アールスペンサー(John Earl Spencer)に由来しています。メルボルンに殖民が始まった1830年代に、アールスペンサーは、英国アールグレイ首相やメルボルン首相の内閣で財務大臣(Chancellor of the Exchequer)や議員議長を勤めました。スペンサー通りは、シティの中では最も地味な通りでした。西側には、港湾産業地区であるドックランドがありました。シティ唯一の発電所であるスペンサー通り火力発電所(解体中)や、ビクトリア鉄道本部(The Victorian Railways Administration Offices)、ケーブルトラム会社本社、第二中央郵便局(Mail Exchange)、再審裁判所、新聞社(The Age)本社、スペンサー通り駅など、機能的には重要ではあるが、ファッショナブルではない建物が多く集中する場所として知られていました。
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