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手放すこと エゴ

 

 

 

 

 

準備も、少し楽になるかもしれません。。。。。山の家族や親戚が関わってきます。

頭に来る事もあったりするかもしれません。。。。

 

そんなときに、ちょっと考えてみてください。。。これって私の「エゴ」って?

少しストレスが減るかもしれませんよ。

 

 

 

 

 

手放すこと ・ エゴ

私たちは、生まれてくる時には、不必要なものは一つも身に着けていない

「光」と「愛」の存在で生まれてきます。

でも、育ってい行く中で、家族から、学校から、社会から不必要な知識を沢山教え込まれます。

勿論親は、子供の為に愛情を注ぎます。そして、その子供の為。。。そう思って、色々なことを教えます。

それでも、親も人間。。。。不必要な事や、間違った事を教えてしまう事もあります。

学校の先生だって同じです。隣の叔母さんも同じです。

そんな一つ一つの積み重ねで、私たちは不必要な「感情」や沢山の重荷を背負う事になります。

昔怒られた「傷」を、気が付かないまま背負っていたりします。

この一つ一つの重荷を、また一つ一つ捨ててゆく事はとても大事な事のように思います。

それは、他の誰にもできないこと。。。。私たち自身がその作業をしなければなりません。

決して簡単なことではないかもしれませんが、必ずできることです。

それともうひとつ。。。。。「エゴ」

親の愛情も、友達への親切も、実は「私のエゴ」である事が往々にしてあるように思います。

例えば、「xxさんの為にしたげた。」ことは、本当にその人の為でしょうか?

実は、自分の欲求を満たす為の、自分の「エゴ」であることがあると思うのです。

親もそうです。「子供の為」と思っていながら、実は「親の希望を押し付けている。」だけだったりする事が

これまた往々にしてあります。(私も親なので気をつけなければなりません。)

友達にプレゼントを上げることも、誰かに何かをやってあげることも、実は「エゴ」そんな気がします。

私がプレゼントを上げたいからあげるのです。

誰かに何かをしてあげたいからするのです。

それによって、私はとっても気持ちが良くなります。喜んで持った顔をみて、とっても嬉しくなります。

勿論、素敵なことです。でも、勘違いしてはいけないのは、それは「誰かの為」ではないことが

ある場合が多いことです。「xxの為」と思うと、人間は知らず知らずに「見返りを」期待します。

「xxしてあげたのに、感謝してくれない。。。」とか

「xxあげたのに、お礼の一言も無い。。。」とか。

 

でも、自分の為。。。。そう思ってやったらどうでしょうか?

誰かに何か親切をしてあげたら、とても気分が良いですよね。

自分が嬉しい気持ちになります。それで良いのでは???

 

結婚式の準備は、一人ではできません。

 

そんな時に、ちょっと考えてみてください。

 

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