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第5回 AFLプレイヤー ショーン・ヨシウラさん 1

オーストラリアで興行的には最も人気があるといわれるオーストラリアン・フットボール・リーグ「AFL」。楕円系のフィールドを用いたボール競技でありながら格闘技のような要素も兼ね備えたこのスポーツで、初めて日本人選手がリスト入り(公式登録)を果たして話題を集めた。日本人の父とオーストラリア人の母を持つ18歳のショーン・ヨシウラさんがその人。昨年末、「子どもの頃からファンだった」というAFLのブリスベン・ライオンズにルーキー選手として入団。クロスカントリーでも国の代表として活躍し、類稀な身体能力を活かしたプレーを武器にフッティで活躍する傍ら、大学にも所属しスポーツ科学を専攻する多才ぶりでも注目されている。夏のギラギラとした太陽が照りつける中、クイーンズランド州きってのスポーツのメッカ「The Gabba」でトレーニングに励むヨシウラ君を訪ねた。

取材・文・写真:飯田裕子

AFLに興味を持ったきっかけを教えてください。

9歳の時、テレビを見ていてチャンネルを替えていたらフットボールを目にしました。その時、「あっ、何だろうこのスポーツは?」と思いました。その後、家から一番近いオーバルでもフットボールを見て、「これやりたいスポーツだ」と思いました。その時から大好きになりました。テレビで見るまでは全然見たことのないスポーツだったので、ラッキーだったと思います。母はタスマニア出身で、タスマニアではAFLが一番人気のスポーツとされていますので、母に一番に相談しました。Sign-on-day(興味のある子どもたち向けの体験レッスン日)に参加して、フットボールに取り組むようになりました。

AFLは日本ではあまり知られていないスポーツですが、ヨシウラ選手から見たこのスポーツの見所は何でしょうか?

とにかく展開の速いスポーツです。高いスキルも求められ、ちょうどサッカーとラグビーの間を取ったようなスポーツです。とてもエキティングで見ごたえもあります。ラグビーは一方向へボールを進めていきますが、AFLは前、後、右、左へと、360度どこへでもボールを動かせますから、非常に動きが速いのが特徴です。

ミッドフィールドの場合背が高ければ大型選手とも張り合えますし、バックポケットであれば身長が低めでスピード力のある選手が配置される傾向があります。選手の特徴に応じてポジションがあり、誰でもできるという点で良好なスポーツだと思います

AFLの規定では、新人選手はAFLのドラフト、またはルーキー(2軍)リストに載るかどちらかでないとクラブに入団することができないことになっています。選手は18歳になるとドラフトの対象となります。所属クラブか州の代表チームに所属していると、スカウトから声をかけられます。そこからドラフトの対象となり、実際ドラフトにかけられます。ルーキーから始めてもシニア(1軍)でプレーできるようになります。新人選手は1年ほど2軍にいますが、シニア選手で、けがなどで長期離脱するケースなどがあれば、シニアレベルですぐに試合できる可能性もあります。2-3年の間にシニアレベルでプレーできないようだったら、属性がないものと判断されることになります。僕の場合ことし一年はルーキーでの活動になると思いますが、シニアで戦うに十分なレベルになって、シニアリストに入ることを目標にしています。

ブリスベン・ライオンズへの入団のいきさつを教えてください。

まず昨年10月ごろ、ブリスベン・ライオンズからアプローチを受け、インタビューに臨みました。僕が選ばれるとはまったく思わなかったので、本当にびっくりしました。9歳の時からライオンズの大ファンだったので、その球団からチャンスを頂き、信じられないほど嬉しい気分になりました。インタビューから1、 2週間ほどしてから、第1ドラフトでは残念ながら選ばれませんでしたが、翌日にライオンズから電話を受け、ルーキーリストに載せたいといわれ、僕はクイーンズランド州優先枠で入団しました。ブリスベン・ライオンズはクイーンズランド州にあるため、同州のルーキー選手3名を指名できます。この枠で指名された選手は、他の球団が指名できないシステムになっていて、そういうシステムを通じて選ばれました。

入団の発表の直後に大学の試験が控えていました。しかも3時間後に、とても難しい科目で…。発表でかなり感情が高ぶっていましたが、落ち着きを取り戻して試験に集中しなければなりませんでした。自分としてはうまく切り替えることができたと思います。

入団が決まった時の感想をお聞かせください。

かなり興奮しましたし、びっくりしました。9歳のときからAFLでプレーしたいという大きな夢を持っていましたからね。信じられない気分でした。両親も興奮していました。ライオンズのルーキー選手に選ばれた直後は父には内緒にしていました。父に大きな「サプライズ」をあげたかったからです。父はAFLが好きなので、僕の入団を知ったときには涙を流していました。母は、僕がここまでたどり着くために全ての面で支えてくれたので、家族のためにも、入団できたことが良かったと思います。

他州の強豪クラブに興味を持ったりしませんでしたか?

もし(AFL)ドラフトで選ばれていたら、どこのチームであろうとかまわず入団していたと思います。AFLでプレーすることは、どんな子どもにとっても夢だからです。でもライオンズは僕が子どもの頃からサポートしてきたクラブだったので、選ばれてラッキーだったと思います。ローカルのクラブですしね。私はブリスベンがとても好きなので、素晴らしいこのクラブに所属し続け、ブリスベンにもい続けることができればいいと思います。

高校生の世界クロスカントリー選手権に出場するなど恵まれた身体能力を活かして他競技でも活躍されていましたが、オージールールに専念しようと思ったのはなぜですか?

2008年にクロスカントリーの国内タイトルを取った後、AFLかランニング(クロスカントリー)のうち一つを選ばなければならないと思いました。その時、AFLをプレーしたいと思っていた9歳の頃の自分を思い出しました。ランニング(のキャリア)については私はラッキーだったと思います。AFLのプレーについていけるようにするためにランニングを始めましたが、州タイトルなどを勝ち取れたので非常についていたと思います。16歳の頃に鎖骨を骨折してしまい、AFLがプレーできなくなり、ランニングを集中してやるようになりました。それでランニングでも活躍できるようになりました。しかし残念ながら2 つのうちひとつを選ばなければいけなくなりました。個人スポーツをするのは難しいですが、私はチームプレーやチームによる努力といったことが好きだったというのもあり、AFLを選びました。

私の家族が日本からオーストラリアに移った理由は、オーストラリアには「チャンス」があるからでした。両親はかねてから「チャンスを最大限に活かしなさい」と言っていました。スポーツをするチャンスがあるのなら、それを活かすようにしてきました。AFLのほかに、水泳や学校でのバスケットボールもしましたし、テニスも少しかじりました。日本にいる頃は剣道もしていて、こちらにきてからも少しやりました。学校でクリケットもしましたし、ランニングもやりました。でもAFLが一番です。

オーストラリアメディアからは、AFLのリストに初めて載った日本生まれの選手として注目されていますが、そのことに関する感想をお聞かせください。

とても誇りに思いますが、それと同時に日本人AFLプレーヤーとしての責任も感じています。わたしは日本人コミュニティーの代表でもあるということも心に留めておくことが大事だと思っています。(日本人でもできるという)スタンダードを築く責任があると思います。

以前、エッセンドンに挑戦した榊道人選手の話は聞いたことがあります。榊選手は、国際選手枠でチーム入りし、シドニー・スワンズとのエキシビションマッチ(非公式戦)で試合していますので、彼が初の日本人AFL選手といえるでしょう。公式的にリストに載ったかどうかといった点からみると、私が初の日本人選手となります。

AFLはとてもタフな世界です。登録が抹消される選手も毎年いますし、チームも新しい選手を獲得しなければなりませんから、選手は練習を懸命にやって競技力をつけておかなければなりません。チームの環境としては重要なことですが、当然選手は十分な能力がなければ退団に追い込まれます。私においては、幸いけがもなく、持ち前の強さを発揮し、弱点を補強し、スキルを改善していっています。体がまだ細いので筋肉をつけて大きくなる必要があります。強靭で長身のオージー選手と戦うことにためらいは感じません。昨年に大きな身体の選手とも対戦してきましたし、大分慣れています。

 

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