shigoto2011
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第7回 ヘア・スタイリスト 相羽克利さん

1978年、大阪府池田市出身。大阪ベルェベル美容専門学校卒業後、K-TWOに入社、大阪の人気店で経験を積み、その後さらなる技術向上のため、ロンドンに渡る。現地の有名アカデミーで再度美容を学び、同校のEducation Directorのアシスタントを経てロンドンの有名サロンで腕を磨く。2005年、ワーキングホリデーで来豪。2007年、シドニーにてREVO STUDIO設立。2011年、REVO HAIR+SPAを上海にオープン予定。

華やかなイメージと地味な作業のギャップ

僕は本当に人に恵まれています。今のお客様や仲間がいなければここまで来ることはできなかったと思います。

 もともとはカウンセラー系の仕事に就きたかったんです。高校3年の進路を考える時期に、病院でちょっと精神的に病んでいる人たちのために社会復帰の手伝いみたいなことをする機会があったんです。入院している人たちは基本的に感情の起伏が激しくあまり外に出られないので、ひとりの年配の美容師さんが髪を切りに来ていたんです。休み時間中にパッパッパっとみんなの髪を切るんですけど、衝撃的でしたね。それまであまり心境に変化のなかった患者さんたちが髪を切った後にものすごくうれしそうにしているわけで、言葉でなく髪を切ることで人の気持ちを変えられる美容師ってすごいなって思ったのが最初のきっかけです。

 この経験が後押しになり美容師の道を目指そうと決めたわけです。でも実際に専門学校に行ったら思い描いていたイメージと現実では天と地ほどのギャップがありましたね。専門学校に行っていた頃や下積みの頃は地味な作業をずっと繰り返すだけ。華やかなイメージのかけらもない。僕の中では人の気持ちを動かしたということに対するものすごい憧れがあったんですけど、実際に始めてみたら単純作業だけ。専門学校を卒業して就職したらまたイチからスタート。働き始めてもシャンプーとか地味な作業ばかり。シャンプーは好きなんですけど毎日シャンプーばっかりですから……。自分の思い描いていたものとはまったく違うなあって思いましたね。

大阪の有名店スタイリストを経てロンドンへ

 大阪で就職したお店は、宣伝をすればお客様が山ほど来るような感じでした。スタイリストになってお客様がついてくると今度は「お客様は僕のサービスや技術を求めているのかお店を求めているのかどっちなんだろう」って思うようになるわけです。自分としてはまだまだいろいろ学びたくて、美容師の講習などにも行きたいと思っていたら、上の人から「あなたが学びに行けばお店のメンツが立たないじゃないか」「店では教える立場なのになぜお前が学びに行かなきゃ行けないんだ」と言われ、そこで違和感を感じちゃったんですね。一回外に出てみようと思って他の店に面接に行っても、僕自身の話しなんてまったく聞かずに履歴書だけを見て「●●(店名)の相羽くんだったらすぐに働きに来てほしい」と言われ、これでまた迷うわけです。なにも変わらないならいっそ遠いところに行きたい、それなら美容師の登竜門、ロンドンがいいと思い立ち海外行きを決めました。

 結局思い立っただけでロンドンに行ったわけです。計画もなにもなく、知り合いゼロ、英語もしゃべれない、あるのは技術だけ。英語がしゃべれず何もわからないことがこんなにつらいことなのかと、実際に行ったら落ち込みました。現地の有名スクールに入って、まっすぐ切るという基本からまたやり直しです。ヘタクソだとかボロカスに言われましたから、1週間でプライドはすべて打ち砕かれましたね。イチから学びたいと思う反面、日本でやってきたプライドもあるわけで、自分がどれだけのレベルなのか試したいという気持ちもどこかにありました。でも自分を試したいと思っているうちは新しいことを学ぼうという姿勢が整っていないわけです。

 そこで一旦すべてをクリアにして真っ白な状態にして学ぼうと覚悟を決めて、そこからは教えてもらうことをできるだけ吸収してやろうという気持ちに変わりました。卒業後その先生のアシスタントとして講義を手伝うようになり、そこで一番学んだことは、教え方が日本とまったく違うということ。日本ではこれはダメだとか、こういう風にしなさいという感じで学んでいきます。だからスタイルブックを見せられてこういう風にしてくださいと言われたらものすごく忠実に作れる。でも向こうでは、失敗をさせるような教え方なんです。あえてミスをさせてそれを次に活かせるように導いていく感じなんです。だから日本の美容師が向こうで学ぶと、ほとんどの人はこれは使えないなって日本に帰っていくんです。教えてもらったものをそのままやるのではなくてそれを自分の中で吸収して自分の形にする、そこが日本人の場合は非常に弱い。なんでも好きなものを作ってくださいって言われたら日本人の美容師さんは結構困ると思うんですけど、向こうの人はうれしそうにいろんなもの作るんですよ。

ロンドンでスタイリストに

人としてリスペクトすることが、この仕事の基本だと思います。人とのつながり、それが一番大事なことです。

 その後に学校を辞めて、求職活動をするわけです。40件くらいは履歴書を持って回りました。目の前で履歴書を破られたこともありました。友達とかには、もう止めた方がいいよって言われましたけど、意地になっていましたね。たまたま最終的に技術チェックしてくれた店で働くことになるわけですけど、そこでも大変でした。スタッフ15人くらいのロンドンのコペントガーデンにある有名店で、入ってみたらアジア人は僕ひとり。仕事に対する考え方もまったく違うんですよね。もちろんきっちり仕事はするんですけど、みんな自分に顧客をつけたくてギラギラしているんですよ。ヨーロッパ各地から稼ぎに来ていて少しでも顧客をつけてできるだけ稼いで自国に帰りたいと思っているんです。だからはじめは完全によそ者扱いでお客様もつかないわけです。

 そんなある日すごく口うるさそうなお客様がいらっしゃって、他の人がみんな入りたがらないという状況があって、最後に僕だけが残ってしまったんです。こっちはチャンスだと思って「オレにやらしてくれ」って言ったら「あなたで大丈夫なの?」みたいなことを言われ、「絶対HAPPYにするから、もしUNHAPPYだったら代金は僕が払うよ」って説得したわけです。でもすごい高級サロンだったのとても自分で払える額じゃないんですよ。結局おぼつかない英語でやりとりしてなんとか仕上げたわけです。すると店長が彼女に呼ばれてなんか言われているわけですよ。「ダメだった~、ヤベ~、カラーもやっているから払えないよ~」って思っていたら、「すばらしい! あなたのカットとカラーがいままでで一番気に入ったわ」って言ってくれて……。じつはファッション関係の人だったんですけど、その人がそれをきっかけにたくさんお客様を紹介してくれて、それからどんどんどんどん顧客が増えていきましたね。口うるさいお客様を納得させたってことで他のスタッフの見る目も変わっていって最終的にはトップスタイリストと同じくらいの顧客がついていましたね。

シドニーへ、そして出店

 その店で仲良くしていた同僚のオーストラリア人の美容師にある日「メルボルンに帰って店を始めるのでトシも来ないか」って誘われたんです。そこでいろいろ考えるわけです。3年半くらいロンドンにいて、このままいても先がないような状態だったし、ちょっと違う国に行ってみようかなって……。オーストラリアって英語圏だなって軽い気持ちでまたオーストラリア行きを考え始めるわけです。彼はメルボルンで待っているって言っていたけどオーストラリアで一番大きい街と言えばシドニーだな、ってわけでシドニー行きを決めたわけです(結局ワーホリでシドニーに来てそのまま居座っちゃってメルボルンには行かなかったってオチなんですけど)。

 シドニーに来たら、なんでこんなに中国人が多いんだ、ローカルの人にはどこに行ったら会えるんだって感じでした。考えてみたら最初の宿泊ホテルがチャイナタウンの近くにあったからなんですけどね。日本、ロンドンと比べると美に対する強い思い入れは感じられなかったですね。まだまだ遅れているなって思い、軽い感じで働こうというスタンスでした。そこである人に出会い、「そんなにいろいろ経験しているのに何を言っている、そういう経験をなぜこの国で活かそうとしないんだ」って喝を入れられ改心できたわけです。この国はヨーロッパ系とアジア系が混在しているので、そこに自分がやってきたことを活かせる新しい可能性があるんじゃないかって思い、それからは仕事に没頭するようになりました。中国系の3店舗で働いたんですけど、中国人しかいない店だったので日本人顧客獲得のために日系紙(誌)に自費で広告を出していたこともあります。どんどん日本人のお客様が来るようになって、その後にチャイナタウンで一番大きな店に移って、売り上げが一番になって……。ワーホリなのに10年やっている美容師の売り上げの歴史を変えてしまったみたいで、それは結構噂になったようです。「ワーホリで短期間しか働いていないのになんで顧客がこんなにいるんだよ」って。それで出店へと繋がって今に至るわけです。

仕事へのこだわりと今後の展開

 髪を切るというのは単なる作業ではないと思うんですよ。人と接し、その人自体を感じてその人に似合うスタイルを提案させてもらうということだと思っています。その人だけの“ONLY ONE”のスタイルを提案してあげることが今の僕のベースにあります。人と接するのが好きなんで、お客様、スタッフと、そしていろいろな方との交流が広がってきて今の自分があります。さまざまな文化の入り交じっているシドニーでアジア人、ヨーロッパ人、そしてオーストラリア人を含むいろんな国の人に幅広くスタイルを提案できるようにいつも心がけています。今年の7月頃には上海に出店を控えていますが、日本、イギリス、オーストラリアのどこのやり方も上海で受けるやり方にはならないと思うんです。その人たちを知ってその人たちにあったスタイルを、その人たちが喜ぶものを提案することが大切ではないかと考えています。そして技術と経験など今まで自分が学んできたこともっと次の世代にも伝えていきたいですね。

 

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