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第6回 在シドニー日本総領事館領事 江草恵子さん

シドニー勤務の辞令は晴天の霹靂

子どもたちもシドニーが大好きなので来てよかったです。

外交官をめざしたキッカケは、高校時代に出会った母校の先輩です。高校生の頃、キャリア教育の一環として社会で活躍する卒業生から話を聞く機会があったんですが、その先輩は外務省の第一線で活躍されていて、女性でも海外でバリバリ活躍できるよ、と夢のある話をしてくれたんです。それがすごく印象的で、その後も将来について考えるたび「先輩みたいになりたい」っていう気持ちが真っ先に出てくるんです。また、「これからは外で活躍する時代だ」という創立者の思い溢れる新しい学校でしたし、人と接するのも好きだったので、私も外交官になろうって決めたんです。そう決心してからとにかく勉強して外務省に入省しました。

外務省に入省した人はかならず何らかの言語を一つ習得して、その言語圏の国に関連する仕事に従事することになります。これがたいてい希望通りにならないんですよ。中国や韓国のアジア言語をやりたいなと思っていたんですが、辞令が出たのはフランス語(笑)。それで外交官の語学研修としてフランスに2年留学しました。その後アフリカのセネガルとヨーロッパのベルギーで外交職務を勤め、計6年間フランス語圏で海外生活をしました。本省に戻り、結婚、2度の出産という大きな経験をして、身辺の生活環境が大きく変わりましたね。育児休暇を終えて復職した後は国際機関、特にユネスコなどフランス語関係の分野にずっと携わっていたので、フランス語・フランス語圏というのが自然と自分の将来における一つの路線だと思っていたんです。そんなとき突然シドニー勤務の話が出たんですよ。フランスとの接点がほとんどない国なので、晴天の霹靂でしたね。夫とも相談しながらよく考えたんですが、オーストラリアは教育、医療、自然環境、どれをとっても悪くないと言われていましたし、シドニー勤務を断る理由が見つからないくらいすばらしいオファーなんじゃないかと思ったんです。結局夫を単身日本に残して子どもたちとシドニーにやってきました。

2010年5月、Wyong High Schoolにて

校長先生と日本語担当教師、日本語アシスタントの学生さんたちと。

校長先生はじめ皆さん、とてもフレンドリーでした。

2010年3月、ニューカレドニア・ヌメア市立図書館

第3回日本文化祭のオープニング。

隣にいるのは日系3世のミッシェル名誉領事。

シドニーの日本総領事館に着任して今年で3年目。

朝は子どもたちを学校へ送り出して出勤、夜は7〜8時頃に帰宅、遅いときは10時くらいになることもあります。日中はワーキングホリデーの女性に住みこみをお願いし、親戚にも交互に来てもらい子どもたちの送り迎えや食事の世話などお願いしているんですけど、つくづくオーストラリア人のライフスタイルには学ぶべきところがいっぱいあるなと感じますね。例えば、時間の使い方。家族との夕食の時間を大切にしたり、夜残業しない分朝早く出勤したり…、多忙な日本人には難しいことですけど見習うべきだと思いますね。子どもの通学方法もそう。こちらでは毎日大人が子どもを学校へ送り迎えする習慣があるんですけど、安全対策がしっかりしていて安心できますよね。日本だと小さな子どもが1人で電車に乗って路線を乗り換えて…ってやっているのが少し無防備な気もするんですよね。なので、こちらのスタイルは親としては毎日大変なんですけど、家族にとってはいいのかなと思いますね。

一般的に子どもは異なる環境にもすぐ順応すると言われています。しかし、うちの子どもたちを見ていて思うのは、母国語がどれだけ確立しているか、幼児なのか小学校低学年なのか高学年なのかでずいぶん違いますね。日本語の保持も親ががんばらないとダメ。私自身、フランス語に長く携わってきたものの英語圏で生活するのは初めてでしたし、オーストラリア英語のアクセントに慣れるのに大変でしたね。異文化のなかで暮らしているのでほかにも戸惑うことはいっぱいあります。外務省の先輩たちもそれぞれの国で同じような問題に直面していると聞きますし、きっと外交官の宿命なんでしょうね(笑)。悩みはつきません。ただ、周囲の温かい協力があって、オーストラリアの自然環境も最高で、何よりも子どもたちはシドニーが大好きなのでここに来てよかったと思いますね。

現在は、オーストラリアで一人でも多くの日本のファンを増やすために日々奔走しています。また、仕事と家庭を両立しながら海外赴任してきた自分の生き方がひとつのいいモデルになって、後輩たちや世の女性たちの役に立つといいなと思っています。

 

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