shigoto2011
未分類

第5回 音楽・映像プロデューサー、エンジニア 磯田秀樹さん

たくさんの失敗があっても、ひとつの成功があればいい。

そのマインドが、音楽を長く続けてこられた秘訣ですね。

音楽との出会いは、3歳から習い始めたピアノ。途中で嫌になって小学校高学年のときにやめてしまったんですが、その頃は当時流行っていた、部品を組み立てると簡単なシンセサイザーのようなものが作れる電子工作キットに夢中になりましたね。組み立てた装置からいろんな音が出る仕組みがとにかくおもしろくて、学校で習った曲なんかを演奏してよく遊びました。それがきっかけで工作の楽しさを覚えて、自分でいろんなシンセサイザーを作るようになったんですが、同時に音楽そのものへの興味も膨らんで、モノ作りと音楽作りの魅力を同時に発見したという感じですね。

中学生になって、もう一度楽器を習いたいなと思い、好きなジャズやクラシックが演奏できるという理由でサクソフォンを始めました。当時の日本ではサクソフォンというとクラシックジャンルの指導がほとんどだったので、入門はクラシックなんですが、高校生になって将来について考えたとき、どうしてもジャズやフュージョンがやりたいと思ったんです。それならジャズの本場アメリカで修行しよう!と思い、インディアナ大学の音楽学部に留学することにしました。

大学時代は、サクソフォンをやりつつ音楽作りについて本格的に学びました。作曲、アレンジ、録音、編集、そしてマスタリングといった音楽作りにおけるすべての作業をコンピュータ上で行なう制作法です。通常、曲が完成するまでには、作曲したものを楽譜にする、演奏家に演奏してもらう、録音する、編集する…といった作業工程を別々の専門家が行なうことが多いのですが、私の場合は一連の作業をできるだけ一人でやることにこだわってきました。当初、作った楽曲をデモテープにしてレコード会社にたくさん送りPRしていったんですが、あるときとあるプロデューサーから声が掛かり、テレビ番組のサウンドトラックを手がけることになったんです。在学中21歳のときに初めていただいた仕事です。独特な音作りと画期的な作業効率の良さが気に入られて、テレビ番組のほか、CM用の楽曲作りなどどんどん仕事をいただくようになって、経験を積んでいきました。仕事は過密スケジュールのものが多くて、とにかく走り回っていましたね。金曜に受注した案件を月曜に納品するなんてこともしょっちゅうありました。サクソフォンを片手に海を渡ったわけですが、結果的に作曲が生活の糧になりましたね(笑)。

仕事も軌道に乗ってきた26歳のとき、クオリティにとことんこだわったレーベルを作りたいと、アメリカで「RIAX」(ライアックス)という音楽制作会社を立ち上げました。録音からCD販売に至るまでのすべてを手がけるインディーズのレコード会社なんですが、周囲の協力もあってすばらしいミュージシャンたちと出会い、メジャーレーベルにも通用するような音楽作品をリリースしていきました。最初はアメリカでのリリースが中心だったんですが、インターネットの普及から、オンラインで世界に発信するようになり、CD制作のほか、マルチメディア制作、ウェブデザイン、Eラーニング教材の開発など、活動の幅をどんどん広げていきました。

シドニーに来たきっかけは、シドニー大学から音楽学部で教鞭を取ってほしいというオファーがあったからです。未来に向けてテクノロジーの重要性に注目していたシドニー大学が、音楽とテクノロジーの両方に精通したマルチなエキスパートはいないものかと世界中で探していた中、アメリカで音楽プロデューサー兼エンジニアとして活動していた私がひっかかったわけです(笑)。10代で日本を離れてからアメリカでの生活にすっかり落ち着いていましたし、会社の仕事も順調だったので、オファーに応えるかどうかすごく悩みました。ただ、新しいことにもチャレンジしてみたいという好奇心もあったので、とりあえずちょっと様子を見てみようと2週間ほどシドニーを訪れたんです。そのとき衝撃を受けましたね、オーストラリアは未開拓なおもしろさがあるぞ、と。例えば、ITに関して、オーストラリアはアメリカや日本に比べてまだまだ遅れを取っています。開拓したい!とチャレンジ精神も湧いてきたので、シドニー大学からのオファーを受けることにしました。最初はとりあえず1年間やってみようというスタンスだったんですが、仕事がだんだんおもしろくなってきて、最近ではずっといてもいいなと思うようになってきました。

ここに来て、アメリカ・日本・オーストラリアの文化や慣習の違いを実感することもあります。コミュニケーションのあり方がいい例ですね。例えばグループで仕事をする場合、アメリカではリーダーというのは絶対的存在であることが多いのですが、日本やオーストラリアだとバランスを重視する傾向があって、リーダーはみんなの意見をうまくまとめる存在という感じがあります。大学生と接していても、自分の権利を強く主張するアメリカに比べて、日本とオーストラリアの学生は控えめでひたむき。オーストラリアはわりと日本的な要素があるので、オーストラリア社会にもすっと溶け込んでいけたし、謙虚になって物事の視野を広げることもできましたね。

現在は、シドニー大学の音楽学部で音楽制作技術や音響学を教えるかたわら、副学部長として、学内のITと通信教育部門の管理を担当しています。最近では、「MusicInformatics」といって、音楽と他分野の架け橋となるテクノロジーの開発をテーマに、様々な専門家たちとともにいくつか大きなプロジェクトも推し進めているところです。ひとつは音を使った医療。音楽を聴いたり演奏したりすることで治療を促進する「音楽療法」はすでに世界で広まっていますが、それをMRIや様々な最先端テクノロジーを駆使し、さらに科学的に治療効果を引き上げる研究をしています。ほかにもいろいろな分野で音楽の可能性を広げていきたいと思っています。うまくいかないこともたくさんありますが、とにかく諦めずに根気を持って試行錯誤を続けることをモットーにしています。自分の思い通りにいかないと、あぁ分からない!もうダメだ!と普通はなりがちなんですが、100回やってダメでも101回目に成功すればそれでいいと思うんです。1つの曲を100回練習してマスターできれば上出来ですもんね。トータルで見るとそれが結果的に「成功」なんだと思います。

 

この記事をシェアする

この投稿者の記事一覧

その他の記事はこちら