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第8回 指揮者 村松 貞治さん

1979年、愛知県岡崎市生まれ。高校卒業後渡英し、

イギリスのアングリア・ラスキン大学に入学。英国王立北音楽院の指揮科へ進学後、アマチュアの音楽家とともにオーケストラを結成。しばらくイギリスで活動を続けた後、日本に活動拠点を移す。2008年に来豪し、文化庁が認定する新進芸術家海外研修制度の研修生としてシドニー音楽院で指揮を学ぶ。現在は、シンフォニーとオペラを中心に、さまざまなオーケストラで指揮者として活躍する一方、ウェズリー・インスティテュートおよびAICMで教鞭も執っている。2011年、イギリスのアングリア・ラスキン大学より名誉博士号を授与される。’01年アイシス20世紀オーケストラ指揮者コンクール優勝を始め、’05年モーティマー・ファーバー指揮者賞、’07年エメリッヒ・カールマン国際指揮者コンクール審査員特別賞など、輝かしい受賞経歴を持つ。

公式ウェブサイト:http://www.sadaharu.net

楽器をマスターして、ようやく“指揮”が学べる

 中学・高校と吹奏楽部で部長をやっていて、ホルンを吹いていました。当時、指導と指揮をされていた先生は出張で留守をされるたび、僕に指揮を頼まれたんです。最初は恐かったんですけど、若気の至りというか、だんだん振る回数が増えるごとに「これいけるんじゃないの?」と感じるようになったんですね(笑)。それで興味を持って、指揮のことをもっと突き詰めていきたいと思うようになりました。

 

 高校卒業後は音楽と指揮を勉強するためにヨーロッパへ行こうと思ったんですが、いきなりフランスやドイツへ行くとなると言語面に自信がなかったので(笑)、とりあえず何年間か義務教育で習った「英語」の国ということでイギリスに決めました。イギリスでは、最初に何か一つ楽器をマスターしてからでないと指揮を勉強させてくれないんですよ。さらに、指揮科というのは大学院にしかないので、当時一番の武器であったホルンで大学に入学して、大学院でようやく指揮を勉強しました。

 

 大学では、指揮者になるためにピアノやバイオリンなどの楽器もひと通り習いました。英才教育を受けてきた他の学生たちと比べたら、スタートは遅い方だと思います。小さい頃、親は姉にピアノなど音楽の英才教育を受けさせていたんですけど、僕には一切なくて…。だから今(音楽の仕事をしているのは)その反面教師でもあるのかもしれませんね(笑)。

 

さまざまなコンクールでの受賞。指揮者としての大きな一歩に

 大学在学中に、学生仲間や地元のアマチュアの音楽家たちとオーケストラを結成して指揮を振っていました。立ち上げから公演のチケット販売まですべて自分たちでオーガナイズして、卒業後もしばらく活動していたんですが、ビザの関係で日本に帰ることになったんです。

 日本ではしばらく親のスネをかじる生活が続きました。20代前半くらいだと指揮の仕事はほとんどないのが現状で、指揮科を卒業したからといって成功の道が待っているわけではないんですね。才能はあるのになかなか振る機会がない方もたくさんいるし、そこからどう動くかは人それぞれなんです。僕はいろんな楽団に行って勉強させてもらったりしましたが、ちゃんとした楽団には経験を積んだ素晴らしい指揮者がたくさんいるので、僕みたいな若造が振る機会はなかなかなかったんです(笑)。若いと経験もないし“味”も出てこない。プロのオーケストラに立ったときに、たいてい僕より年上でたくさん経験を重ねてこられた演奏家の方々がほとんどで、その方たちを前にして力が至らないということになるんです。だから、良い風に音楽で年を重ねていきたいなと思いますね。とにかく指揮のコンクールにもできるだけ参加しました。そこでいい成績を取れば人は注目してくれるし、何よりもオーケストラで指揮を振る機会が持てますからね。それから徐々に仕事も増えていきましたね。

 実は、指揮を振っている時間は仕事全体の約1割、一週間だと12時間くらいで、ほかの時間はずっと楽譜を勉強しています。指揮者は指揮台に立つとき、自分の中でその曲を完全に理解していないといけないし、誰よりもその曲が好きであることを指揮台に立って演奏家たちにプレゼンテーションするわけです。正しかろうがそうでなかろうが、とにかくクリアなビジョンを持ってないと演奏家を不安にさせることになるので、楽譜を完璧に把握することが必要なんですよ。以前演奏したことのある曲でも、もう一度楽譜を見直すとまたイメージが変わるんですよね。楽譜を開くたびに深みが増して再発見もあって、驚きがいっぱい隠れているんです。だから、毎回初心に返って見直す必要があるんですよ。

 指揮を振るときは作曲家がいつも自分の中にいて、「なんでここはこうなの?」といつも問いかけています。そうやって常にいろんなことを疑問視して、最終的に確立していくんです。オーケストラの各パートの配置もそうです。基本的には木管はここ、金管はここ、という風にフォーマットがあるんですけど、僕は曲によって変えることが必要だと思っています。だから、指揮を振るときは、「フルートは本当にここでいいのか」、「バイオリンのポジションに他の選択肢はないのか」などと毎回繰り返し問い直します。そうやって僕のほしい音が出たら最高ですね。「あぁ、みんな同じ意見なんだ!」ってうれしくなります。

 オーケストラと比較して、オペラは脚本を覚えなきゃいけない分、特に準備に時間がかかりますね。言葉の暗記もそうですが、「なんでここのコードでこの言葉が出てくるのか」ということを特に理解しなきゃいけないんです。難しいんですが、勉強して分かったときはすごくうれしいですね。同じ曲でも指揮者やオーケストラによって響きが違いますよね。それは、指揮者の曲に対する理解によっても変わるし、ウィーンフィルやベルリンフィルなどのトップクラスの楽団になると、彼ら独自のサウンドを持っているので、違いが出るんですね。

 

来豪の転機。シドニーでの再スタート

 日本を中心にしばらく活動した後、再び指揮を勉強するために来豪しました。海外にもう一度出たいなとずっと思っていて、幸運にも文化庁の「新進芸術家海外研修制度」の研修生として選ばれたので、2008年 に研修制度を通してシドニー音楽院に入学しました。2010年に大学を卒業して、シドニーでプロとして再び活動を始めました。現在はいろんなオーケストラで指揮を振りながら、ウェズリー・インスティテュートとAICMで指揮を教えています。先日は、歌劇とポールダンスを融合させた新型のオペラで指揮を振ったんですが、音楽もダンサーもレベルがすごく高くて、お客さんはディナーショーみたいに食事をしながらオペラを楽しまれていて、非常に印象に残るものでしたね。

今、オーストラリアではクラシック人口が激減しています。日本ではノダメ・カンタービレ(吹奏楽をテーマにした少女マンガ)の影響でクラシック界が少し盛り上がっているようですが、ここシドニーは何の起爆剤もないんです。だから、僕の役目はもっとみなさんに興味を持ってもらえるよう、クラシックの裾の尾を広げるために正しい音楽を伝えることだと思っています。個人としては、自信を持ってどの土俵にも出ていける音楽家であり、人間でありたいですね。

 

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