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コラム おしぼりと家族・ その1

日本から両親がやってくるの巻

 「7月にそっち(オーストラリア)に行けるかも知れないよ」そんな電話が母からありました。
私は何としても、両親が来るからにはシドニーのおいしいお寿司を食べさせたい!
いい景色のホテルに泊まってきれいな夜景を見せてあげたい。絶対シドニーでと決めていたのです。
何故かって?それは、シドニーにはこだわりがあるのです。
 
昨年12月は、シドニーを一人で営業に回っていた時のことです。
ホテルに戻ってから、なかなか成果に結びつかない悔しさと孤独感、
今にも押しつぶされそうな気持ちで受話器をとり、ブリスベンの自宅に電話をしました。
12歳の娘の声を聞いたものの、親としての情けなさ、弱音を吐けない状況で、
何か腹だたしささえ感じていたのです。その後、悶々とした気持ちで、ついつい電話をしたのが日本の父でした。
 
呼び出し音が鳴ってから、かすれた柔らかい父の声で「調子はどうだ?」という声を聞いたとたん、
それまで抑えていた自分の何かがどーっと壊れ、子供のように声をあげて泣いてしまったのです。
(なんでああやって声を出して泣いたのかは今でもわかりません)。
やさしい言葉が返ってくるだろうという私の予想に反し、帰ってきた父の言葉は、
「助けたくても、俺は何もできないんだ。そんなことで電話しないでくれよ」と、怒られました。
 更に崖から突き落とされるような感覚を味わいました。
(確かにそうだ。励ましてもらおうなんて甘い考えだ。自分の2本の脚で立たねば先に進めない)
と腹をきめられたのが、父の厳しい言葉だったのです。
 
その後はシンガポールや神戸、東京と駆け回り、なんとかこの仕事を成長させたいとの思いで必死に働きました。
移住する前は、衝突の絶えなかった夫とも歯車を合わせながら一緒に挑戦してきました。
地道な挑戦でにビジネスも確実に広がり、両親を迎えられるようになったのです。
 
晴れやかな気持ちで飛行場に両親を迎えに行き、両親は成長した3人の子供に目をみはっていました。
そして、しばらくしてから両親を連れてシドニーに行ったのですが、
こんなことが起こったのです。。。。 次回に続く

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