大好きな父が9月末に日本からやって来ました。
6月に咽頭がんとの診断を受け、その後36回の
放射線治療。後半は、のどのただれがひどくなりましたが、
完全に治療を終え、私の息子にプレゼント用の自転車と
日本食を段ボール箱に入れ、母と日本から来たのです。
職人の父は、刃物にうるさく、
来豪のたび、包丁を研いでくれるのです
が、両親が来る直前、夫が誤って砥石を廃棄してしまったため、
今回は包丁の手入れは諦めていました。
そして滞在中、両親を連れて近所のモールに連れて行ったのですが、
父は包丁が陳列されているお店にすたすた入っていくのです。
そんな父を遠くから目で追ったのですが、
いつの間に、小さく丸く曲がった背に驚きました。
そして、父は
手を後ろに組んでうなずきながら砥石を眺めていました。
「オーストラリアはこんなものが高いんだな」と言いつつ、
砥石を一つ買ってくれましたが、
その時、父の後ろ姿から、なんとも言えない
深く、あたたかい思いというか、
そんなものをじわ~っと感じぜずには
いられませんでした。そして、その晩は、なぜか涙をこらえることが出来ませんでした。
昔、父はアル中で、暴力も激しい人でした。
特に、私が中学生の頃は、そんな父を憎んでいました。
父が家にいることを疎んでいました。
しかし、貧乏と暴力でおかしくなりろうな家庭を
母は父を支え切っていました。
母の、執念が父を変え、二人で経済苦も病魔も
乗り越え、悠々と、旅行に来ることが出来るようになったんです。
滞在は1週間という短い期間でしたが、家の近所をサイクリングしたり、
クジラを見たり、モートン島ではヘリにのって
島を一望し、「こんな夢のような島を見られるのは幸せだ」と
喜んでいました。砂すべりもし、4輪のバイクにも乗って、
子供のように喜んだ父の様子をみることが出来ました。
また、そんな父の様子に、母もとても嬉しそうでした。
帰る前の日、父は私の夫をそっと呼んで、「恵美子に内緒にしてね。ガソリン代のたしに
して下さい。1週間お世話様でした。」と、そっとお金を渡していました。
(この会話の一部始終を陰で聞いた私は、夫からお金を恐喝です♪)
両親が帰国したあと、料理をするたび、よく切れる包丁に
「やっぱりじいちゃん、凄いね!」と、長男のレオンが
驚いています。
ちいさな家族の、偉大な歴史を感じた一週間の出来事でした。。。。
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