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東日本大震災 その5

 「東日本大震災 その5」

 

避難所で毛布にくるまり、体を休めていましたが、眠ることが出来ません。JRの職員に聞いてみても、いつバスが用意できるかわからない、それは福島の原発の事故で、避難指示が出たため、そちらにバスが優先的に行っているとのこと。さらに新幹線は全く動く見通しが立たないとのこと。結局一か月以上新幹線は通らない事になります。高架が崩れてしまったところも多く、復旧に非常に時間がかかったそうです。

眠ることが出来ないので、外を散歩しようと出てみると、校庭に1台のタクシーがいます。そのタクシーに乗り込もうとしている方々に声をかけてみました。

タクシーはなんと、仙台、盛岡に行ってくれるという事で、3人で代金をシェアして乗るという事がわかり、その3人の中の一人が「盛岡までならもう一人乗れるので、一緒に行きましょう。荷物をまとめてきてください」と声を掛けられました。

なんというラッキー。どうやって帰るか見通しが立たなかったところに、光が差し込みました。しかし、同じように体育館に避難している200人近い方々は動く事が出来ず、自分だけ帰っていいのか迷いましたが、家族のため、お酒の仕込みのため、帰ることにしました。

すぐに荷物をまとめて、タクシーに乗り込み、高速道路が止まっているので、一般道路の国道4号線を北上していきます。途中大渋滞にも巻き込まれながら、どうにかして家にたどり着きました。夜中でしたが、家族と再会して、みんな無事を確認し、気が緩んだのか、みんなで大泣きしました。家族が離れて被災する、というのは本当につらいことだと思いました。

たまたま散歩をしに外に出て、たまたまタクシーをみつけて、たまたま声をかけて、たまたまタクシーがガスを満タンにしていて、まだガソリンが足りないと騒動になる前だったなど、本当に偶然が重なり早く会社と家に帰ることが出来ました。偶然が重なったのですが、これが無ければ私もしばらくは避難所生活が続きました。

こうして、ようやく家族と一緒になりましたが、ここから、とんでもない沿岸部の津波の被害と、原発の被害が東北を襲っていることがわかり、唖然とします。

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