shigoto2011
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第2回 ヴァイオリニスト 石川綾子さん

シドニーは私にとって“第二の故郷”です!

日本とオーストラリアの小さな架け橋になれるようなヴァイオリニストを目指して……。

初めてヴァイオリンに触れたのは、3歳の頃なんです。ご近所にヴァイオリンを習っている仲の良いお姉さんがいたのですが、その方がヴァイオリンを練習し始めるといつまでもじっと聴いていたらしいんです。そのうちお姉さんのヴァイオリンを触り始め、これは壊したら大変!と親が心配してヴァイオリンを買ってくれたそうです。習い初めたのは4歳でしたが、父の仕事の関係で5歳の時にロンドンに移ることになり、そこで運良くパーセルスクールという音楽学校に合格しました。軽い気持ちで入学したのですが、実はその学校は今でもウェールズ皇太子がパトロンを務め、サイモン・ラトルやアシュケナージ、キーシンという錚々たる方々が後援者となる名門音楽学校だったんです。幼かったですが、そんな恵まれた環境の中で、自然に音楽がもっと好きになったんだと思います。

その後10歳の時に一旦日本に戻り、桐朋(音楽学校)に入ろうと先生についてがんばっていたのですが、中学3年生の時に父の仕事の関係で今度はシドニーに移ることになったんです。シドニーに来てからすぐに、有名なオイストラフの弟子のアレキサンドル・トディチェスク先生についたのですが、彼と出会ったことで弾くことに対する考え方がガラリと変わりました。それまでは、いかに正確に上手に演奏するかに重点をおいていたんですが、ある日先生に「アヤコは凄く練習するのに、なんでこんなにレパートリーが少な いの?」「音階や練習曲だけでは聴衆に感動は与えられないよ」と言われ、その時初めて、「えっ、そうか私は演奏家になりたいからヴァイオリンを弾いているのか。」とハッとしたんです!それからは1週間に1曲というペースで、普通の何十倍もの速さでいろいろな作曲家の曲をどんどん弾いて、レパートリーを増やしていきました。

大学は幸せにもファーストクラスオナーズ(優等学位)で卒業することができたのですが、卒業したので、さあプロを目指す!という感じではなかったんです。いろいろなコンクールで優勝していたのがきっかけで、 在学中の頃から演奏依頼のお声をよくかけていただくようになり、卒業する頃には自然な形でヴァイオリニストとしてお仕事させていただいていました。でも当時日本人の方々の前で演奏することは余りなく、オージーの方々からの依頼がほとんどでしたね。その後どんどん他の国や、日本人の方々からもお声をかけていただくようになり、2007年11月には東京のサントリーホール・ブルーローズで日本デビューをし、アジアでの活動も始めるようになりました。

プロとして活動していくにつれ、曲目やコンサートの構成、演奏方法などで、どのようにしたらお客様が心から楽しみ感動していただけるか、それこそ食事中も寝ている時でも、ずーっと考えるようになりました。練習量は、凄まじいとよく言われます(笑)。テクニックの練習だけではなく、たった1秒程の一つの音をどうやって出すか、眠れない程悩むこともしょっちゅうで、よく「考えすぎて頭から湯気が出てるよ」って周りに笑われます(笑)。でもこの間リサイタルで、ある曲を演奏させていただいた時、客席の何人ものお客様が涙を流しながら聴いてくださり、「ヴァイオリンを続けてきて本当に良かったぁ」と心から思いまし た。今まで何度も挫けそうになった“いばらの道”だったからなおさらです。  

先日、初めて大衆演劇というものを拝見させていただくチャンスがあったのですが、お客様がリラックスして楽しんでいらっしゃる様子を見て、クラシックでもこういうコンサートができたらなあ、とすごく感じましたね。クラシックコンサートというと、咳をするのも遠慮気味でとても堅苦しい雰囲気ですが、私の夢は、いろいろな意味での壁を取り外し、クラシックは苦手という方でも気軽に足を運んでいただけるようなコンサートをたくさん開くことなんです。

最近は日本や海外で演奏する機会が増えておりますが、やはりシドニーは私にとって“第二の故郷”ですので、これからオーストラリアでの活動も両立させていきたいと思っています。日本とオーストラリアの小さな架け橋になれるようなヴァイオリニストを目指して、これからも全力でがんばります!

 

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