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さっぽろ雪まつり 過去にTAS州議事堂の雪像も

【TAS25日】   毎年北海道で行われる雪と氷の祭典”さっぽろ雪まつり”。過去に、日豪の関係強化を狙ってTAS州議事堂の雪像がつくられたのを知る人は多くないだろう。

1989年、本土以外のオーストラリアの観光を推し進めようと、TAS州観光局で日本との関係を担当したタケナガ・ケン氏が考えたプロジェクトの一つが、北海道の雪まつりだった。

オーストラリアを訪問したことのなかったタケナガ氏は1980年、現オーストラリア政府観光局に加わってTAS州を訪れた。同氏は日本からオーストラリアへの訪問者を年10万人にすると決め、5年以内に目標の10万人を7,000人上回った。

タケナガ氏はその後、当時は日本人観光客になじみがなかったTAS州の観光局に勤務。さっぽろ雪まつりをプロモーション先に考えた。TAS州観光自治体と北海道観光協会との友好署名式の背景に、高さ15メートル、幅30メートルのTAS州議会の雪像がふさわしいとされた。

このとき、TAS州出身のピーター・ルッツさんも雪だるまを彫刻して銅メダルを獲得した。シェフのルッツさんは氷の彫刻の経験はあったが、雪を彫刻したことはなかった。ルッツさんは雪像の彫刻に加え、まつりの間雪の中に立ってバーベキュー用にサーモンを切り身にし続け、TAS州のプロモーションに携わった。

タケナガ氏はその後、札幌市の円山動物園にタスマニアンデビルのパビリオンをつくる提案もした。これを機に1990年に作製されたフジテレビの映画「タスマニア物語」は日本で大ヒットし、日本国内でTAS州の認知度も倍増した。

1978年、海外からのオーストラリア訪問者で日本人が占める割合は5.4パーセントだったが、1991年には22パーセントを超えた。

1970年代にはシドニーのタウンホールもさっぽろ雪まつりで彫刻されている。

ソース: abc.net.au -15m-high snow sculpture helped build ‘powerful’ relationship between Tasmania and Japan

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